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中断のご挨拶 [ブログ]

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皆様へ。途中から更新が激減して、うすうす気づいていた方もいらっしゃったようですが(^_^;昨年10月より日替わりで6人のライター陣がいろいろな分野で執筆してきた「WindowsLiveJounal」という試みは、マイクロソフトさんの諸事情により、ここで終了することになりました。
「仕事としての主婦2.0」はここでひとまず終わらせていただきますが、今後こちらを個人ブログとして続けるか、完全削除して閉鎖するかの結論は、もう少し先になりそうです。今まで読んでくださってありがとうございました。もし興味のある方は、私の個人ブログ「ミーハーの王道by向山昌子」へいらしてみて下さい。


2007-04-21 23:35  nice!(0)  トラックバック(16) 
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韓国の映画祭をリアルタイムで観た! [ブログ]

「毎朝何時に起きるんですか?」と訊かれて「早くて6時半、普通は7時です」と答えたら「主婦なのに遅いんですね」と言われた。遅いんです、朝も夜も。でも、いまどきの主婦ってそんなものではないでしょうか?

主婦がインターネットを使う時間帯を調べたことがある。
手元に正確なデータは残っていないのだが、最も多いのは「夜、家族が寝てから」だった。昼間は意外に、もちろん少なくはないものの、それほど集中できる時間はない。
ひまなようでいて、主婦の日常は忙しい。仕事をしていない主婦であっても、幼い子をかかえていたり、介護や地域のボランティアなどで昼間はけっこう忙しいのである。
そして、逆に週末は家族がいるから、週末のアクセスはがくんと減る。
ふだんの日常、家族との時間を大切にする主婦ほど、インターネットを使う時間は遅くなり、睡眠不足の傾向にあるのは間違いない。
もっとも韓流の人気スター、たとえばペ・ヨンジュンの公式サイトなどは週末マスコミ関係者が重点的にアクセスしているらしく、ほとんど変わらないとも聞いている。

2003年『冬のソナタ』をきっかけに韓国のサイトを知ったファンは驚いた。

韓国のテレビ局のサイトは、放映済みの番組が無料で観られるようになっていた。
カフェダウムというSNSがあって、会員登録さえすればこのなかは自由自在。スターのファンサイトも無数にあって、それぞれに動画や写真を掲載している。著作権・肖像権に厳しい日本からみると“無法地帯”にすら見えた。
また、サイワールドというSNSのなかで、ミニホームページが流行中で、たとえばリュ・シウォンなど日本でも知られたスターが一般人にまじってみずからのサイトをつくっていた。

また、青龍映画祭でペ・ヨンジュンが初めての主演映画『スキャンダル』新人賞を受賞した。テレビではすでにキャリア10年のベテランである彼が「新人俳優のペ・ヨンジュンです」と挨拶したその光景を、私もリアルタイムでインターネットを通じて観た。

それまで米国をはじめヨーロッパのサイトは始終見ていたものの、こんなに自由で、広がりがあって、“魅力的な無法地帯”には初めて出会った。私たちは、「もしかすると韓国のインターネットは世界で一番進んでいるかもしれない」と話し合ったものだった。


2006-12-05 23:52  nice!(1)  トラックバック(3) 
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韓国のサーバーがダウンした理由 [ブログ]

2003年春、韓国のドラマ関係のサイトでトラブルが相次いだ。
アクセス数が飛躍的に増えて、そのサイトが設置されたサーバーに負荷がかかりすぎ、ついにはサーバーダウン。一時的にだが、使えなくなってしまう。こんなことが1つや2つのサイトではなく、ドラマ関係、芸能関係のオフィシャル及びプライベートなサイトで相次いで起こった。

よく知られているように、韓国はアジアのなかでも最もインターネットの普及が早かった。PC房(ピーシーバン)が街のあちこちにあって、パソコンを持たない人も気軽にインターネットを楽しめる。
そんな韓国のサーバーがなぜ相次いでダウンしてしまったか?

原因は『冬のソナタ』だった。

前回も書いたように、『冬ソナ』初回放映時、韓国ドラマやペ・ヨンジュン、チェ・ジウ、パク・ヨンハといった今となってはおなじみだが、当時誰も知らなかった彼らの情報を得るには、インターネットしかなかったのである。
それ以前にも海外ドラマファンはいた。ファンサイトもあった。
しかし、『冬ソナ』以降は、パソコンにさわったこともない人たちがおそるおそる、しかし、おさえきれない恋の衝動(笑)によって生まれて初めての世界に足を踏み入れた。

どんな小さなことでもいいから知りたい……日本でわからないなら韓国へ行こう! 
多くのファンが実際に海を越えてソウルへ行かなくても(もちろん行ったファンもいるが)インターネットで韓国へ行った。

韓国の人口は日本の半分以下。英語圏とちがって世界中からたくさんのアクセスがあるわけでもなく、韓国語だけでのんびり運営されてきたサイトに、日本のファンが必死の思いでたどりついた。
まるでパズルのようなハングルテキストを3行とか5行ずつコピーペーストしては、翻訳サイトに貼り付けて、日本語に訳して読む。
日本からのアクセスが爆発的に増えたせいで、韓流関係の各サイトはサーバーダウンを招くに至った。まるでサイバーアタックのようなこの現象を起こしたのは、生まれて初めてパソコンを使って広い世界に足を踏み入れた主婦たちだったわけだ。(続く)


2006-11-28 23:19  nice!(1)  トラックバック(384) 
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全国の主婦にパソコンを買わせた男―「ヨン様」 [ブログ]

そんなわけで、私はずっと主婦またはオバチャンに憧れてきて、憧れを体現しているわけであるが、別に「主婦」の代表でも平均でも当然理想像でもない(むしろ、ハミ出しているとは思う、いろんな意味で)。

まして「主婦」なんて呼ばれる集団は、現代の日本では「オトコ」「オンナ」より幅広く奥深い。あまりにも大きすぎて逆に見向きもされなかった「主婦」を中心とする人々が、市場をリードするようになった。
同時に、現在web2.0と呼ばれる事象のいくつかを、主婦たちは先取りして体験していた。

韓流ブームである。

今さら説明するまでもないと思うが、とりあえず。
2003年4月NHK衛星第二放送で『冬のソナタ』が放送された。ペ・ヨンジュン、“ヨン様”はここから生まれた。
ちなみにヨン様という呼び名は、韓国在住の日本人ファンがある掲示板でそう呼んだことからあっという間にファンの間に広まった(もっとも、1年後の4月、ペ・ヨンジュンの来日以降、マスコミがヨン様と書き立てるようになると、ファンはめったにその名を口にしなくなった)。

2003年当時、雑誌やテレビで情報を入手するすべはなかった。
従来から質の良い海外ドラマを観てきたファンがまずインターネットを駆使して韓国から情報を入手し始めた。
同時にそれまでパソコンにさわったこともないファンもまた、「お家に眠っていたパパのパソコン」を借りて、必死にアクセスしたり、動画が主流の韓国情報サイトが見られないからとパートで貯めたお小遣いを持って新しいパソコンを買いに走るファンもいた。
慣れない英語や翻訳機頼みの韓国語で、海外の通販サイトからDVDや韓国の映画雑誌を買うファンも多かった。

ファン、と書いた。そのほとんどが主婦でもあった。(続く)


2006-11-21 23:27  nice!(1)  トラックバック(27) 
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子供の頃から主婦に憧れていた [ブログ]

「主婦気質」みたいなものがあるのだと思う。
いいかえれば「オバチャン気質」。

別に“主婦”でもなく、性別・男で、実際にはオジサンであっても「オバチャン気質」の人は結構いっぱいいる。
そして、私はどうやら子供の頃からオバチャンだったような気がする。

私は田舎育ちである。
だから葬式や法事も、場合によって結婚披露宴も自宅でとり行うものだったが、そんなときオジサンたちは決まっていい調子で酒を飲む。彼らが声高に話している町長選挙の行く末なども興味がないわけではなかったが(だって社会科のテストで役に立つから。昭和40年代の学校には「生きる力をつけるための『生活』や『総合』の時間」なんてなかったが、日常のなかに総合学習のネタがいっぱいあったのである)それよりも台所で隣組のオバチャンたちが話しているどうってことない村の噂話の方がずっと面白かった。
台所はたいてい北側にある。
裏口の外には魚をさばいたりするための流しが据え付けてある。山のような食器が外の流しにも積み上げてある、そのあたりからそっと台所をのぞいて、オバチャンたちの会話に耳を傾ける。

オバチャンたちはまるでチャットかメッセンジャーで話すかのように、同時進行で全員が我先にと喋り続ける。
何がすごいって、チャットやメッセのように文字は残っていないのに、先に誰かが言ったことに対して3拍ぐらいおいてから答えたりして、最終的にはいくつものストーリーが見事に噛み合って完成されていく。
しかも、である。もっとすごいことには、彼女たちの手は休みなく動き続けて、行事のための食事が見事につくられていくのである。

途中で裏口から首だけ出してのぞいている私に気づいて、「あれあれ、マーコちゃん、お腹空いたの? これ、食べる?」とその辺にあった煮物を菜箸かなんかにさして、ひょいとくれたりもする。

ひとつのことしか出来ないオジサンたちとくらべると、オバチャンたちはすごい。
私は田舎独特の人々の結びつきと情の濃さに辟易しながらも、実はこういう場でオバチャンへの憧れを育み、オバチャン気質を養ってきたのかもしれない。

食事と言わず、ごはんと言う。キッチンではなく、台所と言う。初めてつくった料理は肉じゃが。たしか22歳ぐらいのときには、もう「おねえさん」と呼ばれるより「オバチャン」と呼ばれるのがうれしかった(考えてみればずいぶん長い間オバチャンをやっていることになる)。


2006-11-14 21:08  nice!(1)  トラックバック(1833) 
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共通点はたったひとつあればいい [ブログ]

保育園仲間とのつき合いが始まったとき、なんて楽なんだろう!と思った。

たとえば夕方のお迎えのとき、ばったり会うと挨拶の後すぐに「今日も残業だった、疲れた~」「寒くなってきたけどまだ半袖で大丈夫かな?」などと、いきなり実用的な会話が始まる。が、「おかえりなさ~い」という保育士さんの声と「お母さ~ん!」と飛びついてくる子供によって会話は途中で終わり、そのまま親子そろって「バイバ~イ」……そして翌朝子供を送ってきたときは再び、「おはよう」の後いきなり「今日も残業だよ、延長保育を頼んできたの」「もし遅れたらうちで預かるよ」「ありがとう、助かる!」というふうに続きが展開されたりして。
まるで携帯メールのように短い。なのに、必要にして十分。相手の時間を遮らない。その上ちゃんと温かいふれあいになっている。

個人的にはどんな人なのか全然わからない人たちと(「ママどうし」でなければふれあう機会さえなかったかもしれない人たちと)こんなテンポで会話が交わせるのは、私にとって衝撃的だった。
フリーランスが長かったこともあって、友人以外と話すときは敬語が当たり前になっていた私は、タメ口のここちよさ、みたいなものを保育園仲間とのコミュニケーションから実感することができた。

帰りにたまたま一緒になったお母さんが「ねえねえ、食パン残ってたからいっぱい買ってきたの、ひとつもらってくれる?」とママチャリ(自転車)の籠に突然パンを投げ込んでくれたことがあった。それで初めてパン屋さんで働いている人とわかった。
それまでは、相当親しい友人でなければこんな会話はなかなか考えられなかった。
もしかして今経験しているのはコミュニケーションの基本で、ネットワーク作りの原点で、余計なモノをそぎ落とした進化形かも…としみじみ思ったものである。

相手がどんな家に住み、どんな服を着て、どんな物が好きで、どんな経歴を持ち、どんな立場で、どんな価値観を持ち…どんな人生を生きているか。共通点がひとつでもあればコミュニケーションは成り立つし、無限に発展する可能性がある。
むしろ共通点はシンプルであればあるほど良い。
たとえば「小学生の母である」とか、「○○屋でいつも買い物をしている」とか、あるいは「ヨン様が好き」とかね。あ、ここでまた、何の関係もなさそうな単語=「ヨン様」が出てきたが、今回はとりあえず気にしないでください。 (続く)


2006-11-07 22:13  nice!(1)  トラックバック(288) 
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生きるために必要なもの、たとえば肩書き入りの名刺 [ブログ]

なぜ主婦は情報を共有することにこだわらないか?

その話の前にまた別の話を少し。
私の話はこうやって枝葉が多くなって最初のテーマと全然違うところへ行ってしまったりもするが、最後の最後にはちゃんと戻りますからどうぞご心配なく(というより、枝の先の方が葉っぱがみずみずしくてきれいで、光もいっぱいあたってきれいだったりするので、それはそれで楽しむことをおすすめします)。

インターネットでのコミュニケーションを覚え始めた頃(最初はパソコン通信だったが)あ、これは初めての経験ではないなと思った。

ある土地にある程度長い期間住んで、結婚したり子供ができたりすると、その地域のなかでやるべき仕事が出てくる。
マンションの管理組合の理事とか、子供会の見回り当番とか、あるいはまたボランティア当番みたいなこととか(ボランティアなのに当番というのも変だが)。
それからPTAの委員や係、夏休みのラジオ体操当番とか。

こういう結びつきのなかで、なぜか肩書きが重視される場合がある。現役はもちろん、「前・○○株式会社○○取締役」(だか何だかわからないが、とにかく以前の役職)が丁寧に刷り込まれたお名刺を頂戴したりして。
口にしなくても微妙な力関係がそこにはある。物知らずの私は“何もわかっちゃいない若い主婦”(もう若くなくなってからも)としてちょっと外側に坐っている。

一方、肩書きどころか年齢も仕事も年収も住んでいる家も着ている服も、とにかく何も関係なく、全員が同格!というわかりやすくも気持ちのよい場合もある。

息子が保育園に入ったときだった。
世田谷のはずれの住宅地で、都心にも近いせいかいろいろな仕事の親がいた。大学の先生、ダンサー、陶芸家、タクシードライバー、販売員、ケーキ屋、作家、スタイリスト…もちろんごく普通の会社員や公務員もいた。
仕事も家庭環境もさまざまだが、共通点は「お母さん」または「お父さん」ということだけ。21歳と44歳がタメ口(この言葉を使っていいかどうか迷ったが、あえて使う)でつき合う。だって同じママどうしだから。

ネットでのコミュニケーションはこのあたりの関係とよく似ていた。(続く)


2006-10-31 22:24  nice!(1)  トラックバック(15) 
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閑話休題。私の経験を少し、 [ブログ]

参加型なら主婦の得意ワザ、と前回書いた。
もちろん実生活でのことが主体だが、ネットにおいても主婦だから面白くできることがたくさんある。
2001年のことだが、友人といっしょにファンサイトを作ったことがある。

海外ドラマファンが集まるサイトの掲示板で知り合って意見交換するうち、自分たちでサイトを作ることになった。
この時点で、大阪に住む彼女とは一度も会ったことはなかったし、電話で話したこともなかった。
それどころか個人的にメール交換したのさえ、このときが初めてだったが、ふだんから公開された場での書き込みを読んでお互いに「こいつなら大丈夫だろう」と思っていたらしい。まるで気の合うスタッフと仕事をするときのように話はどんどん進んだ。
彼女も私もパソコン通信時代からネットの海をぽちゃぽちゃと泳いできたが、仕事以外でのサイト構築は初めてだった。いわば主婦仲間で作った個人の趣味のサイトにすぎないのだが、私たちは「みんなで作る」ことにこだわった。

まず、掲示板に参加する人たちが自動的にサイトの作り手にもなれる参加型のシステムを作った。
たとえば出演作を網羅したレビューをサイトの主宰者ではなく、参加者が書く。海外の雑誌に掲載された記事を公開して、翻訳する人を募集する。
私たちが応援していた俳優は、あまり知られた人ではなく国内の雑誌にはまず出ていないが、e-bayあたりに貴重な写真が出てくることがある。掲示板参加者のなかから「お買い物部門」を名乗る人が代表で競り落としに行く。専業主婦なら時差があっても時間の融通がきくのである。会員制ではないのに、いつの間にか名簿もあった。掲示板の常連が勝手に「名簿係」に就任し、新しい書き込みをいちいちチェックしてくれたのだ。

こうして、のべ100人以上の主婦が(もちろん主婦でない人もいた)サイト構築に参加してくれた。
とはいえ、当時の状況ではそれらをいちいち編集してこつこつとサイトにアップするのは私たちである。自分たちだけでサイトを作る方がずっと楽だったとぼやきながら、けっこう面倒な作業を私たちは続けた。

「こういうのを日記みたいに自動的にアップしてくれるシステムがあればいいのに」(当時まだブログは一般的ではなかった)。
「間違いがあったら見つけた人が修正できて、いつも一番新しい情報が公開できるようなシステムならもっといいのに」(現在のウィキペディアのようなものを想像していた)。

私はこのサイトを「参加型・進行形・発展途上サイト」と呼んでいた。常に動いている。いつまでたっても完全形にはならない。情報は広がっていく。“Thanks for sharing”の一言とともに、一度公開した情報はどんどん一人歩きしていく。「これは私のもの」と所有にこだわる人には参加型は向かないかもしれない。しかし、こと主婦はこのことにあまり抵抗がないように思える。それはなぜだろう?(続く)


2006-10-24 18:17  nice!(0)  トラックバック(307) 
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なんとなく、なにげなく、いつの間にか、こうなっている [ブログ]

このブログの発端となった「Web2.0って主婦にとってどうよ?」という質問――これに対してたいていの一般主婦はすっきり、きっぱり、シンプルに答えるだろう、「2.0って何さ?」と。すると、おそらくたいていの人が「そ、それはね…」とかなんとか言い始めて、すっきり、きっぱり、シンプルとは程遠くなっていく。

先週土曜日の朝日新聞夕刊で、論説委員室からのコラムにまさにこのことが書かれていた。題して「Web2.0って分かります?」(「」内は記事より引用、以下同じ)。

このコラムによれば、Web2.0とは、1年ほど前に米国でティム・オライリー氏が発表したインターネットの新たな潮流を表す言葉だが、これほど「記者泣かせの言葉」もないらしい。
なぜならばWindowsなんとかのように「小売店でパッケージを買って、パソコンに入れれば使える」ものではないし、どうやらインターネットと人との関わり方が「様変わり」したことを表現しているのだが、何がどう変わったのかがはなはだわかりにくい、と。
そして、Web1.0の時代、人々は企業やニュースサイトを見て情報を受け取る一方だったが、2.0になると、人どうしの「クチコミ、交流、共同作業で」情報がふくらんでいく。「キーワードは参加ということか。」とあやふやながら結論づけ、さらに今起きているそれらしき現象について事例をあげている。

このコラムの文章は大変わかりやすい。わからない2.0を一般読者に(もしかするとネットにアクセスすることさえない読者も多いだろう)できるだけやさしく、説明してくれている。さすがである。
しかし、文章自体はわかるが、結局2.0が何なのかこれを読んでもわかったようなわからないような…。この記者さんは説明がむずかしいと嘆いているが、それだけでなくご本人が「これこそ2.0だよ」と実感できないことがもどかしいのだろう。

どうしても「2.0とはかくかくしかじか」と定義づけておきたい人たちもいると思う。それは、新たなビジネスチャンスが大きく広がる、がらりと変わる、などと言われている部分に敏感に反応している人たちだろう。

しかし、定義などあってもなくても、今現在まるで電子レンジのようにごく普通に、なんとなく、なにげなく、いつの間にかネットを使いこなしている人には何の影響もないのである。

そして「参加をキーワード」にした試みなら、はばかりながら主婦の得意ワザである。(続く)


2006-10-17 21:23  nice!(0)  トラックバック(5) 
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理解できなくても使いこなせてしまう、とりあえず [ブログ]

「新しいブログ始まりましたね、でもWeb2.0って聞いたこともないですぅ」「『2.0は電子レンジ』って、ますますわからない。あれ、なあに?」――先週の第1回目の感想をくださった主婦の皆さん、ありがとう。「わからない」、それでよいのです、とりあえず。

しかし、なぜここでいきなり電子レンジが出てくるか?
別に電子レンジでなくてもいいのだが、たいていの家には電子レンジがある。
ま、なかには「温めは蒸し器に限る」「電磁波が気になる」など、ひとつの主義主張として電子レンジを持たない家もあるでしょうから、その場合は洗濯機でもクリーナーでも何か身近な家電製品を思い浮かべてみてください。

おそらく電子レンジは(それがある家ならば)使われない日はないくらい、活躍していると思う。
それでは「どうして電子レンジでご飯が温かくなるの?」と子どもに訊かれたら何と答えよう? どういう仕組みで一体どうやって食品が温まるのか。先に電磁波と書いたが、電磁波は体に悪いと聞くが食品にはいいのか。

あれやこれやそれや……たいていの人は「電磁波がご飯のなかの小さなつぶつぶをかきまぜて、それで、エネルギーがどうしてこうして」などと話しながら、今朝のご飯を茶碗によそい、「お茶碗1杯はレンジ1分だから、ね」と実際やってみせる…と、こんな感じではないだろうか。
あと、大事なことをいくつか付け加える。「このお皿とこのお皿は入れてはだめ」とか、あるいは「シャンプーした猫を乾かそうとしてはいけない」とか。

この世には、それが一体何であるのか全く理解できていなくても使いこなせるモノがたくさんある、特に家電には。私はこのことを家電のコピーを書いていたとき実感した。 

一般に男と女とでは、広告コピーの読む部分がちがう。
女は使った実感からくる言葉に反応し、さっさと店頭に出かけてさわってみて、念のため店員の説明を聞いて、納得する(そうでない女もいるが、たいていは)。
一方、男は「オールなんとか機能搭載」とか「次世代型なんとか」とか「ついに出た!最新なんとか機能」とかにあっさり騙され…ではなく、強く惹かれ、細かい字で書かれたスペックをなめるように解読するのである(そうでない男もいるが、たいていは)。

それが一体何であるのか全く理解できていなくても使いこなせる。――この点において、電子レンジとWeb2.0は同じだ、と私は思う。(続く)


2006-10-10 20:56  nice!(0)  トラックバック(16) 
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